鍬人の野良日記

大型機械を使わない百姓仕事を40歳から。
自然の摂理を活かす農業を目指しています。
薪熱生活を送る日々。
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精神論 vs 科学論

なんや、小難しそうなタイトル。そんな大したことおへんさかい、読んどくれやす。
銀座席、バスや電車では長い人生の旅を歩んでこられた先輩方に、座ってもらいましょう。

作物を栽培する場合、強引ですが3つの方法に分けられます。化学肥料や農薬がベースの慣行農法、有機物主体の有機農法、それと自然農法、この3つです。僕は自然農法を目指してますが、まだそのレベルではなく、米ぬかや鶏糞、ソイヤなどを使っているので有機農法になりますね。自然農法、色んな方がその農法を提唱されていますが、大雑把に解釈すると田畑に何も与えない、もしくは他所から持ち込まずにそこにあるものを与えたり、持ち込んだにしても落ち葉とか自然のものに限定していたり、こんな感じでしょう。
全体で見ると、ほとんどの農家さんが慣行農法。だから肥料屋さんが成り立っている訳ですが、自然農法に取り組む農家さんはごくごくわずか。その自然農法の考え方ですが、自然の野山で育つ植物のように、自ずと作物も良く育つ。病気がでても広がらないはずだと信じて日々、作物を世話する。素晴らしいことです。が、信じる、では精神的に追い込まれやしないかと気がかりに思います。例えば、病気がでたとします。トマトでいうと青枯病が恐れられていて、酷い場合は全滅することだってあると聞きます。精神論で自然農法に取り組んでいる場合、その病気はきっと広がらないはずだと信じて経緯を見守るのは、かなり辛いことではなかろうか、と。もちろん、経験、年数を積んで自身のなかで確証が得られたら、その不安は解消していくと思いますが、それまでは不安との戦いです。
でも、この自然農法を科学的に捉えて、つまり生態系が豊かで食物連鎖や物質循環が十分に機能していれば、ある種の生き物だけが異常繁殖するのは自然では非常に稀ですから、自ずと病気を引き起こす細菌やウィルスも同じこと。養分バランスが崩れることも少ないので、養分の過少による病気も起こりにくい、といった感じで生物学的に捉えることで、先ほどの不安はずいぶん軽減されると思うんです。僕はたまたまというか、大学でほんの少しですが生物学を専攻していたので、こういう理論をすんなり受け入れることができます。だけど、人間はどうしても数字的に解明して、その裏づけがあってようやく納得する傾向がありますので、施肥設計主体の農家さんにはすんなりと受け入れるのは難しいみたいです。もちろん僕も数字的に思考する場合がありますが、それに囚われると食物連鎖や物質循環の概念を十分に租借できない気がします。
2010年からトマトの栽培を始めて、最初の年に青枯病がでた時はさすがに不安がありました。それでも、理屈から言って広がるはずがないと考えて見守ることにしました。2年目もごく一部で発生しましたが広がることなく、トマトの樹勢も1年目と比べて格段によくなりました。今年、3年目でさらに樹勢がよく、病気が広がらなければ、かなり確証をもつことができます。有機物やソイヤの使用頻度も年々減らしていけるでしょう。間違いなく!そうそう、連作障害を気にする農家さんがいますが、それもありえませんね。連作障害は多々ある養分のなかでなにか一つでも過不足があると発生しますが、常に養分バランスが取れていれば起こるはずがありませんよね。そういったことも理屈的に捉えれば、なんの心配も要りません。むしろ、肥料主体で養分コントロールしようとすることのほうが不安です。僕にはとてもできませんね。
いつも思うのですが、飲みすぎると翌朝は辛い思いをするのを重々知っているのに飲みすぎて後悔することが度々・・・。自分すらコントロールできやしないのに、喋ってくれない作物をコントロールなんて絶対にできやしない、と。
ね、そう思いません?



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